「松重豊さんの学歴って、実際どうなっているの?」
「偏差値の高い高校出身って本当?大学時代に転機があったって聞くけど…」
ドラマや映画で登場した瞬間に空気を変える俳優・松重豊さんは、その渋さや説得力の背景も気になる存在です。
学生時代にどんな環境で学び、何を経験してきたのかを知ると、演技の見え方が少し変わるかもしれません。
さらに、柔道部で過ごした日々や、若い頃にのめり込んだパンクロックなど、意外な素顔が見えるエピソードも注目ポイント。
この記事では、松重豊さんの出身中学・高校・大学などの学歴を中心に、福岡での生い立ちや実家の話、奥さんとの馴れ初め、子ども(息子・娘)に関する話題まで、情報を整理してわかりやすく解説していきます。
- 松重豊の出身高校は福岡の難関進学校である西南学院高校
- 大学は明治大学文学部に進学し演劇の道を志した
- 中学時代から身長が高く柔道部に所属していた
- 息子はアナウンサーではなくラジオディレクターとして活躍中
松重豊の学歴と出身校を詳しく解説
まずは、松重豊さんの学歴やプロフィールについて見ていきましょう。
福岡県出身の松重さんがどのような学校で学び、どのようにして俳優としての基礎を築いていったのか、小学校から大学までの道のりを時系列で追っていきます。
プロフィールと身長
まずは、松重豊さんの基本的なプロフィールを確認しておきましょう。
| 生年月日 | 1963年1月19日(現在62歳) |
|---|---|
| 出身地 | 福岡県福岡市東区(生まれは長崎県) |
| 身長 | 188cm |
| 血液型 | AB型 |
| 所属事務所 | ザズウ(Zazou) |
特筆すべきはやはり、身長188cmという長身です。
ドラマ『孤独のグルメ』で食事をするシーンでも、カウンター席が小さく見えるほどの迫力がありますよね。
この恵まれたスタイルと渋い顔立ちが、刑事役からヤクザ役、そして平凡なサラリーマン役までこなす幅広い演技の武器になっているのは間違いありません。
出身小学校は非公表
これは松重さんが子供の頃、親御さんの仕事の都合で転校を繰り返していたことが大きな理由のようです。
私が調べた情報によると、松重さんは生まれてすぐに長崎から福岡へ移り、小学3年生の頃には大分県にも住んでいた時期があるとか。
小学校だけで3回も転校を経験しているため、ご本人も「故郷の感覚を失ってしまった」と語るほど、特定の「母校」という感覚は薄いのかもしれませんね。
ただ、高学年の時期には福岡市東区の香椎地区に住んでいた可能性が高そうです。
後ほど紹介する出身中学校の校区から推測すると、以下の小学校のいずれかに通っていたのではないかと見られています。
- 福岡市立香椎小学校
- 福岡市立香住丘小学校
※あくまで校区からの推測であり、確定情報ではありません。
小学生時代の松重さんは、体が大きかったものの性格は内気でおとなしかったそうです。
厳格な父親のもとで礼儀正しく育てられたそうで、今の実直な人柄はこの頃に培われたのかもしれません。
また、当時から相撲が大好きで、力士にサインをもらうほどの相撲少年だったという可愛らしいエピソードもあります。
出身中学は福岡市立香椎第二中学校!柔道部に所属
中学時代も転校を経験していますが、この学校に在籍していたことは間違いありません。
中学生になると、松重さんはその恵まれた体格を活かして柔道部に所属しました。
なんと中学3年生の時点ですでに身長が185cmもあったそうです!
「中学2、3年で185、186あったので、やせてはいましたけど、もしかしたら連れて行ってくれるかもしれないと思っていたんですけどもね」と松重。
引用:スポニチ
当時の写真があれば見てみたいものですね。
あまりの体格の良さに、「このまま力士になろうか」と本気で相撲部屋への入門を迷った時期さえあったといいますから驚きです。
また、この頃の松重さんに大きな影響を与えたのが音楽です。
友人の影響でセックス・ピストルズなどのパンクロックに衝撃を受け、当時の博多のロックシーン(めんたいロック)にのめり込んでいきました。
ライブハウスに通い詰めるなど、内気だった少年がロックやカルチャーに目覚めていく多感な時期だったようですね。
福岡県の西南学院高校出身
この高校は福岡県内でも有数の進学校として知られ、現在の偏差値は70前後とも言われる難関校です。
松重さんは一般受験で合格して入学しており、当時から非常に学力が高かったことがうかがえます。
高校時代も引き続き柔道部に所属し、なんと二段の腕前を持っていたそうです。
一方で、映画や演劇への興味が爆発したのもこの時期でした。
特に福岡出身の石井聰亙(現・石井岳龍)監督の映画『狂い咲きサンダーロード』に衝撃を受け、「自分も映画監督になりたい」という夢を抱くようになります。(現在リバイバル上映中です。)
自主制作映画を撮ったり、先輩である陣内孝則さんに憧れたりと、今の俳優・松重豊の原点はこの高校時代にあると言っても過言ではありません。
ちなみに、高校時代に一度フラれた経験があり、博多駅近くで涙ながらに帰ったという甘酸っぱい思い出も語られています。
出身大学は明治大学文学部
もともとは映画製作を学ぶために日本大学芸術学部を志望していましたが、学費の面で断念し、演劇が学べる明治大学を選んだという経緯があります。
大学時代の松重さんは、まさに演劇漬けの日々を送りました。
演劇サークルに所属し、自身で小劇団を立ち上げるなど精力的に活動。20歳で初舞台を踏み、俳優としてのキャリアをスタートさせています。
また、この大学時代の人脈がすごいです。
他大学ですが三谷幸喜さんと知り合い劇団に参加したり、アルバイト先の中華料理店「珉亭(みんてい)」では、後にTHE BLUE HEARTSとなる甲本ヒロトさんとバイト仲間として親交を深めたりしています。
松重さんの交友関係の広さは、この頃の下北沢界隈での生活がベースになっているんですね。
1986年に大学を卒業した後は、名演出家・蜷川幸雄氏が主宰する「蜷川スタジオ」に入団。
ここから本格的なプロの役者としての厳しい道のりが始まりました。
松重豊の学歴以外の家族や妻についても調査
ここまでは松重豊さんの学歴を中心にご紹介してきましたが、プライベートな側面も気になりますよね。
ここからは、奥様、お子さんたちのご家族について、そして現在の活動についても触れていきたいと思います。
妻との馴れ初めの写真は?
学生時代から気心の知れた仲で、長い交際期間を経てゴールインされたようですね。
奥様の写真は一般の方ということもあり公開されていませんが、松重さんはインタビューなどで奥様への感謝を口にすることも多く、「結婚30年の愛妻家」としても知られています。
売れない下積み時代や、俳優を辞めて建設会社で働いていた時期も、奥様はずっと支え続けてくれたのでしょう。
まさに二人三脚で歩んできた人生と言えそうです。
息子松重暢洋はアナウンサー?
松重豊さんの息子さんについて、「アナウンサーではないか?」と検索されることが多いようです。
暢洋さんは1995年生まれ。
大学卒業後にTBSラジオに入社し、人気番組『赤江珠緒のたまむすび』などの制作に携わってきました。
ラジオ好きの間では知られた存在で、時折番組内で話題になることも。入社試験では父が松重豊であることを伏せていたという実力派です。
2022年にはお子さんも誕生し、松重豊さんはおじいちゃんになりました。
「孫に会うのが何よりの楽しみ」と語る松重さんの姿を想像すると、なんだかほっこりしますよね。
松重豊の娘の職業は映像関係の仕事
息子さんの他に、松重さんには長女がいらっしゃいます。1993年生まれと言われており、息子さんのお姉さんにあたります。
もしそうだとすれば、お父さんと同じエンターテインメント業界で、裏方として作品作りを支えているのかもしれません。
お子さんたちが二人ともメディアに関わる仕事を選んでいるあたり、松重さんの影響は大きかったのかもしれませんね。
松重豊に病気の心配はある?
松重豊さんについて検索すると「病気」というワードが出てくることがあり、心配されるファンの方もいるようです。
これはおそらく、松重さんが元々スリムな体型であり、さらに役作りや加齢によって白髪が増えたり痩せて見えたりした時期があったため、健康面を案じる声が上がったのだと推測されます。
『孤独のグルメ』であれだけの量を美味しそうに平らげる姿を見れば、内臓もお元気なのではないかと想像してしまいます(笑)。
ただ、撮影は過酷だとも聞きますので、体調管理には人一倍気を使われているのではないでしょうか。
松重豊の学歴と経歴のまとめ
今回は、名優・松重豊さんの学歴や家族について徹底調査しました。
転校を繰り返した幼少期を経て、福岡の名門・西南学院高校から明治大学へと進み、演劇の道を切り拓いてきた松重さん。
長い下積み時代がありながらも、今や日本を代表するバイプレイヤーとして確固たる地位を築いています。
学生時代の柔道や音楽への没頭、そして奥様やご家族との絆が、今の松重さんの深みのある人間力に繋がっていることがよく分かりました。
これからも、その渋い声と確かな演技力で、私たちを楽しませてくれることでしょう。今後のご活躍もますます楽しみですね。
