元NHK職員で政治家、YouTuberとしても知られる立花孝志さんの学歴を中心に調査しました。
ネットで立花孝志さんを検索すると、学歴や大学に関する疑問だけでなく、出身高校の偏差値やNHK入局の詳しい経緯、さらには大学の退学理由が多く調べられているようです。
立花孝志さんがどのようなプロフィールを持ち、どんな生い立ちを経て今の活動に至っているのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
実は大学に進学しなかった背景には、幼少期からの壮絶な苦労があったようです。
今回は、私が調べた彼の意外な学生時代のエピソードをたっぷりお届けしますね。
- 立花孝志さんの出身校と最終学歴が高校卒業である理由
- 過酷な家庭環境の中で育った幼少期や中学時代のエピソード
- 偏差値39の高校からNHKへ就職した異例のキャリア形成
- 薬剤師として働く娘さんや家族に関する知られざる話題
立花孝志の学歴と大学進学の真相を解説
画像引用:N国党
ここでは、立花孝志さんがどのような教育課程を経てきたのか、小学校から高校までの具体的な学校名とその当時の様子について詳しく解説します。
地元の学校で過ごした日々には、今の彼からは想像できないような苦労が隠されていました。
小学校は泉大津市立条東小学校の出身
現在のようにメディアで堂々と発言する姿からは想像しにくいですが、幼少期の生活環境は「壮絶」と言って差し支えないものでした。
両親は立花さんが幼い頃に離婚しており、父親と3歳年上の姉との生活が始まります。
しかし家庭の経済状況は非常に厳しく、日々の食事にも困るほどだったと本人が振り返っています。
特に印象的なのは、小学5年生から新聞配達のアルバイトをしていたという点です。
遊びたい年頃にもかかわらず、早朝から働き、稼いだお金はすべて家計のために使われていました。
栄養状態が極端に悪かった時期もあり、小学校高学年の頃には学校で倒れてしまった経験もあるそうです。
この出来事をきっかけに、一時的に別居していた母親が家に戻ってくるほど、当時の生活は深刻でした。
中学校は泉大津市立小津中学校の出身
小学校卒業後、立花孝志さんは同じく地元の泉大津市立小津中学校に進学します。
しかし、中学時代になっても生活環境が大きく改善することはありませんでした。
両親は家を空けがちで、立花さんは団地の一室でほぼ一人暮らしのような状態を強いられていたといいます。
食事も十分に取れず、強い孤独感を抱えながら日々を過ごしていました。
その影響もあってか、中学時代は荒れた時期があり、本人いわく「毎日のようにケンカをしていた」とのことです。
部活動には所属せず、いわゆる帰宅部として中学生活を送っていました。
この頃に経験した「誰にも頼れない環境」こそが、後の立花さんの 強い自立心や組織に依存しない考え方 を形成する大きな要因になったと考えられます。
出身高校は大阪府立信太高等学校
同校は1983年に開校した比較的新しい公立高校で、大阪府和泉市に位置しています。
当時の信太高校は、普通科に加えてスポーツ特進、情報、看護など複数のコースを設けており、実践的・多様な進路に対応していた点が特徴でした。
一方で学力面のハードルは決して高くなく、当時の偏差値は 39前後 とされ、大阪府内では比較的入学しやすい高校だったと言われています。
ただし、偏差値の低さ=学校生活が楽だったというわけではありません。
立花さんは高校1年生の頃から親元を離れ、事実上一人暮らしをしながら学校に通っていました。
生活費を稼ぐため、新聞配達やガソリンスタンドなど複数のアルバイトを掛け持ちし、働きながら通学する高校生活 を送っていたのです。
勉強時間は限られていたものの、本人いわく「試験前に集中して勉強するだけで成績は常に上位だった」と語っており、この頃から要領の良さや効率重視の思考が際立っていたことがうかがえます。
大学には進学していない
インターネット上では「立花孝志 大学 中退」「退学理由」といったキーワードが検索されることもありますが、これは事実とは異なります。
そもそも大学に入学していないため、「中退」や「退学」という経歴は存在しません。
高校卒業後、立花さんは進学ではなく就職という道を選択します。
その背景には、長年続いた家庭環境の厳しさがありました。
実家に居場所がなく、高校生の時点ですでに自立を余儀なくされていた彼にとって、学費を払って大学に通うという選択肢は現実的ではなかったと考えられます。
ただし、大学に進まなかったからといって学ぶことを軽視していたわけではありません。
限られた時間と環境の中で成果を出す姿勢はこの頃から一貫しており、その効率的な行動力と判断力が、高校卒業後のNHK入局 という異例のキャリアにつながっていくことになります。
苦労した幼少期の生い立ちとエピソード
高校1年生の段階で、すでに彼は実家を離れてアパートで一人暮らしを始めていたそうです。
理由は実家の居心地が悪かったからとのことですが、15歳や16歳の少年が一人で生活を支えるというのは、並大抵の覚悟ではありません。
住んでいたアパートは風呂もトイレもないような、現代では考えられないほど格安の物件だったといいます。
生活費と学費をすべて自分で賄わなければならなかったため、彼の毎日はアルバイト漬けでした。
具体的な働きぶりは凄まじく、以下のような仕事を掛け持ちしていたそうです。
- 早朝3時起きの新聞配達
- ガソリンスタンド店員
- 祖父が経営する観光船の切符切り
朝から晩まで働き通しの毎日でしたが、その一方で彼は独特の勝負勘も養っていました。
娯楽として始めたパチンコにのめり込み、なんと高校在学中の3か月間で約400万円もの大金を稼ぎ出したというエピソードがあります。
これは当時の大人でも驚くような金額ですよね。こうした「リスクを取って勝負する」という姿勢は、この頃から芽生えていたのかもしれません。
父親はどんな人物で息子は
立花さんの父親に関する情報は、彼自身の口から時折語られるエピソードから推察するしかありませんが、決して穏やかな親子関係ではなかったようです。
ご両親の離婚後、一時期は父親と姉と暮らしていましたが、両親ともに家を空けることが多く、立花さん自身は「放置されていた」と感じることもあったようです。
父親がどのような職業に就いていたかなど、具体的な詳細はあまり明かされていませんが、立花さんの語る言葉からは、親に甘えることのできなかった孤独な少年の影が見え隠れします。
そんな立花さんも、今では父親としての顔を持っています。
立花さんには息子さんが一人いらっしゃいますが、息子さんは一般の方として生活されているため、プライバシーに配慮し詳しい情報は公開されていません。
ただ、過去のSNSやYouTubeの投稿では、息子さんが父である立花さんの活動を客観的に見ているような描写もあり、立花さん自身も息子さんを一人の自立した人間として尊重している様子が伺えます。
立花孝志の娘は薬剤師で気になる顔は公開中か

彼女については、立花さん本人が「娘は薬剤師になった」と公言しており、その優秀さが話題になりました。
立花さん自身は高卒ですが、娘さんはその背中を見て育ち、着実に自らのキャリアを築かれたのですね。
娘さんは過去に立花さんのYouTube動画や選挙の街頭演説のサポートなどで顔を出していた時期があります。
その際、視聴者からは「とても聡明で美しい」「落ち着いた話し方が好印象」と絶賛されました。
現在は一般の社会人として薬剤師の職に就かれているため、露出は控えめですが、お父さんの窮地を冷静に支える「最大の理解者」の一人であることは間違いありません。
気になる現在の顔写真などについては、彼女が一般の方であるため、本人の意志を尊重して非公開とされていることがほとんどです。
しかし、立花さんが娘さんの話題を出すときの表情は、政治家としての厳しい顔とは異なり、一人の父親としての優しさと誇りに満ち溢れています。
娘さんもまた、自分の父親が世間からどのように見られているかを理解した上で、その信念を静かに応援しているようですね。
波乱万丈な若い頃の経歴を振り返る
高校時代をアルバイトと勉強の両立で駆け抜けた立花さんは、1986年に大きな転機を迎えます。
大学進学を断念した彼に対し、信太高校の恩師が勧めたのがNHK(日本放送協会)の入局試験でした。
これは当時、高卒採用枠があったとはいえ、大卒ばかりがひしめく巨大組織の中では非常に珍しいケースでした。
彼はそこで持ち前の事務処理能力と数字への強さを発揮し、経理の仕事などで頭角を現していきます。
NHKという安定した組織の内部で約19年間も勤務したという事実は、彼が単なる「暴れん坊」ではなく、実務においても極めて有能であったことを証明しています。
| 年代 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1986年 | 大阪府立信太高等学校を卒業後、NHKに高卒採用で入局 |
| 2005年 | 週刊文春にてNHKの内部告発を行い、同局を退職 |
| 2013年 | 政治団体「NHKから国民を守る党」を設立し代表に就任 |
| 2019年 | 参議院議員選挙で当選し、国政政党の党首となる |
若い頃から常に「組織の常識」に疑問を持ち、自力で道を切り拓いてきた彼の経歴は、その後の政治活動へと直結していきます。
大学という既定のレールに乗らずとも、実力次第でここまで辿り着けるのだということを、彼はその人生をもって体現していると言えるでしょう。
立花孝志の学歴と大学に行かなかった理由
画像引用:X
さて、ここからは立花さんがなぜ大学進学という選択肢を選ばなかったのか、そしてその後のNHKを去る決断にはどのような心境があったのか、その「核」となる部分に迫ります。
彼のキャリアは、常に「常識」との戦いでした。
NHKをやめた理由と当時の心境
NHKという、高収入で社会的地位も高い組織に19年も身を置けば、多くの人はそのまま定年まで安定を求めるものでしょう。
経理担当として組織の財布事情に精通していた彼は、組織内で不適切に処理されている資金の流れを発見し、それを週刊誌(週刊文春)で告発するという、まさに捨て身の行動に出ました。
当時の心境について彼は、組織への愛情があったからこそ、腐敗した現状が許せなかったと振り返っています。
しかし、内部告発者に対する組織の風当たりは凄まじく、事実上の居場所を失う形で退職を余儀なくされました。
この時の絶望感や組織に対する憤りが、「NHKをぶっ壊す」という後のスローガンへと昇華されたわけです。
大学に行かず、叩き上げで築いてきたキャリアを失ってでも守りたかった「正義」が、そこにはあったのでしょう。
組織を辞めた後の生活は決して楽なものではなく、一時期は精神的に追い詰められたこともあったようです。
しかし、そんな逆境でも彼は立ち止まりませんでした。
自らのスキルを信じ、YouTubeという新しいプラットフォームを駆使して反撃を開始する。このバイタリティの源泉は、間違いなく幼少期から培われた「不屈の精神」にあります。
因縁のマツコと何があったのか騒動の真相
マツコさんが自身の出演番組「5時に夢中!」において、当時躍進していたNHK党の支持者層を揶揄するような発言をしたことがきっかけでした。
これに対し立花さんは、支持者の尊厳を守るためとして、生放送中のテレビ局(TOKYO MX)の前で猛抗議を開始しました。
この行動は「言論の自由に対する圧力だ」という批判を浴びる一方で、「支持者を守るリーダーとして当然の振る舞いだ」と支持する層も現れ、日本中の注目を集めました。
最終的には裁判沙汰にまで発展し、長期にわたる法廷闘争が繰り広げられましたが、この騒動によって立花孝志という存在が「テレビの既得権益に真っ向から挑む男」として確立されたのは事実です。
彼は学歴や家柄という盾を持たないからこそ、自らの体を使って最前線で戦う道を選んだのです。
弁護士の資格や将来は何がしたいのか
たびたび話題に上がるのが「弁護士資格」への関心です。
実際に資格を保有しているわけではありませんが、彼は司法試験の勉強に励んだり、行政書士試験に挑戦したりと、常に学び続ける姿勢を見せています。
また、膨大な数の裁判を弁護士に頼らず「本人訴訟」でこなしており、その実務能力は法曹界からも注目されるほどです。
将来、彼が一体何を目指しているのかという問いに対しては、一貫して「NHKのスクランブル化」を掲げていますが、その先にはさらに大きなビジョンがあるように見えます。
それは、古いシステムの日本を壊し、誰もが自由に情報を発信でき、不当な搾取を受けない社会の構築です。
かつて自分を栄養失調に追いやった「格差」や、正直者が馬鹿を見る「組織の不正」をこの世からなくしたいという、根源的な欲求が彼を動かしているのかもしれません。
立花孝志の学歴や大学進学に関するまとめ
今回は、立花孝志さんの気になる学歴や大学進学にまつわる真相、そして彼のこれまでの歩みについて詳しく解説してきました。
最終学歴は高卒であり、過酷な家庭環境ゆえに大学への進学を諦めざるを得なかったという過去は、今の彼の不屈の闘志と密接に結びついています。
偏差値39の高校からNHKへと入り、そこで組織の裏側を見たことが、彼を政治の世界へと押し上げました。
立花さんの人生は、まさに「逆転の物語」です。
学歴がないことで悩んでいる人も、彼の生き様を見れば、大切なのはどこを出たかではなく、そこで何を学び、どう行動するかだということに気づかされるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。以上、ウォッチャーHがお届けしました!


