「田辺誠一さんの学歴が気になる!」
「大学はどこに行ったの?法政大学って噂だけど」
こんなふうに田辺誠一さんの出身大学や学歴が気になりますよね。
実は、田辺誠一は付属校に通いながら大学には進学していないんです。
この記事では、小学校から高校までの学歴と偏差値、ボート部時代やメンズノンノモデルへの転身エピソードまで詳しくまとめました。
学生時代をたどれば、俳優・映画監督・”画伯”へと進化した原点が見えてきますよ!
- 田辺誠一のプロフィールと学歴一覧
- 出身小学校・中学校・高校の詳細と偏差値
- 大学に進学しなかった理由と経緯
- 学生時代の知られざるエピソードとモデルデビューのきっかけ
田辺誠一の学歴詳細
まずは田辺誠一さんのプロフィールと学歴の全体像を整理しておきましょう。
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 田辺誠一(たなべ せいいち) |
| 生年月日 | 1969年4月3日 |
| 出身地 | 東京都(幼少期は山口県で過ごす) |
| 身長 | 182cm |
| 血液型 | A型 |
| 職業 | 俳優・映画監督・イラストレーター |
| 所属事務所 | enchante |
| 配偶者 | 大塚寧々(女優) |
| 小学校 | 世田谷区内の公立小学校(校名非公表) |
| 中学校 | 世田谷区立砧南中学校 |
| 高校 | 法政大学第二高等学校 |
| 大学 | 進学せず |
学歴の流れをざっくり整理すると、世田谷区内の公立小学校・公立中学校を経て、法政大学の付属校である法政大学第二高等学校に一般受験で進学というルートです。
付属校なので法政大学への内部進学が可能でしたが、あえて別の大学を受験して不合格に。
大学進学を断念し、高校3年生のときにメンズノンノの専属モデルに選ばれて芸能界入りしています。
最終学歴は高卒ですが、俳優・映画監督・イラストレーターとして幅広い才能を発揮するマルチクリエイターです。
家族について
母親は秋田県出身で花屋を営んでいたとされています。幼少期に山口県で祖父母のもとで過ごしたのは、父親の仕事の関係だったようです。
2002年に女優の大塚寧々さんと結婚。
大塚さんには前夫との間に息子がいますが、田辺さんは実の子のように大切に育てています。
息子が肺炎で入院した際には毎日お見舞いに通ったというエピソードもあり、2012年にはベストファザー賞も受賞しました。
田辺さんと大塚さんの間にはお子さんはいませんが、2015年にはおしどり夫婦に贈られる「プラチナ夫婦アワード」を受賞するなど、芸能界屈指の仲良し夫婦として知られています。
田辺誠一の出身大学は?大学には進学していない

田辺誠一さんの学歴で最も多い質問が「大学はどこ?」というもの。
結論から言うと、田辺誠一さんは大学に進学していません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大学 | 進学せず(最終学歴は高卒) |
| 内部進学の権利 | 法政大学への推薦枠あり(利用せず) |
| 受験結果 | より難関の大学を受験するも不合格 |
法政大学第二高等学校は法政大学の付属校なので、卒業生は原則として法政大学に内部進学できます。
結果は残念ながら不合格。
浪人して再チャレンジすることも検討したそうですが、そこまでの情熱はなかったことから、大学進学自体を諦めています。
メンズノンノのモデルとして芸能界へ

大学に進まなかった田辺さんですが、高校3年生でボート部を引退した後、アルバイトを探していた時期に転機が訪れます。
応募条件は「身長180cm以上」「都内近郊在住」の2つだけでした。
5000人もの応募者の中から見事選ばれ、18歳でメンズノンノの専属モデルとしてデビューを果たします。
182cmの長身と端正なルックスは、モデルの世界でも抜群の存在感を放っていました。
同級生が大学生の4年間をモデルとして過ごす
モデル活動のそばら、ビデオカメラを購入して映像作品を制作したり、詩や小説を書いたりと、興味のあることには片っ端から挑戦していました。
そして23歳のとき、メンズノンノの先輩である阿部寛さんや風間トオルさんが俳優に転身していくのを見て、
自分も自主映画を撮っていた経験があることから「自分が出る側もありだな」と感じ、俳優への道を歩み始めます。
田辺誠一の出身高校は法政大学第二高等学校
田辺誠一さんの出身高校は、神奈川県川崎市にある法政大学第二高等学校です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 高校名 | 法政大学第二高等学校 |
| 偏差値(現在) | 約70 |
| 偏差値(当時) | 50台後半 |
| 所在地 | 神奈川県川崎市中原区 |
| 種別 | 私立(法政大学付属校) |
| 入学年 | 1985年 |
| 卒業年 | 1988年 |
自由な校風で知られ、数多くのスポーツ選手や著名人を輩出しています。
田辺さんが在学していた当時は男子校で、偏差値は50台後半でした。
2016年に男女共学化されてからは偏差値が大幅に上昇し、現在は偏差値70前後の難関校となっています。
田辺さんはこの高校に一般受験で合格して入学しています。
ボート部の主力選手として活躍
文化系に見られがちな田辺さんですが、実はバリバリの体育会系だったのです。
当時の法政二高のボート部は県内でも強豪として知られており、練習は非常にハード。帰宅が深夜0時頃になることもあったそうです。
高校時代の握力は55kgに達しており、男子高校生の平均が約40kgであることを考えると、かなりの筋力を持っていたことが分かります。
子供の頃から水泳を10年間続けていたこともあり、水上スポーツとの相性が良かったのかもしれません。
自主映画や小説にも没頭する多才ぶり
自主映画の撮影や小説の執筆を行い、歌手・尾崎豊に衝撃を受けて詩を書き始めるなど、当時から多才ぶりを発揮しています。
「Art Project Swim」という創作ユニットを立ち上げ、映像や文章、写真などの制作に取り組んでいました。
部活動だけでも相当な時間を取られる中で、これだけの創作活動をこなしていたのは驚きですね。
頭の切り替えが上手で、好奇心旺盛な性格がうかがえます。
田辺誠一の出身中学校は世田谷区立砧南中学校
田辺誠一さんの出身中学校は、東京都世田谷区にある公立校の砧南中学校です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 中学校名 | 世田谷区立砧南中学校 |
| 種別 | 公立 |
| 所在地 | 東京都世田谷区 |
| 入学年 | 1982年 |
| 卒業年 | 1985年 |
地元の公立中学校に通っていた田辺さんですが、この時期が後のクリエイターとしての原点を形作る重要な3年間となりました。
絵画の才能が開花し世田谷区で受賞
世田谷区のコンテストで表彰されたこともあり、まさに才能の片鱗を見せていた時期です。
漫画「AKIRA」の影響で絵画やコンピューターに興味を持ち始め、ゴッホの絵画を模写するなど、本格的に美術にのめり込んでいきました。
美術の先生はその才能を高く評価し、父親に対して「この子は美術大学に進学させたほうがいい」と勧めたそうです。
俳優への憧れが芽生えた中学2年生
笠智衆さん主演のNHKドラマ「ながらえば」を観て深く感動し、役者という仕事に興味を抱くようになりました。
ただ、当時は「どうすれば役者になれるのか」が分からず、すぐに行動に移すことはできなかったそうです。
この思いが実際に形になるのは、高校3年生でメンズノンノのモデル募集を見つけたときのことでした。
意外にも団体行動が苦手だった
しかし、高校でボート部という完全なチームスポーツに身を投じたことで、この点は大きく克服されたようです。
団体行動が苦手だった少年が、ボート部の主力選手となり、やがて映画やドラマの現場でチームワークを発揮する俳優へと成長していく過程は、なかなか興味深いものがあります。
田辺誠一の出身小学校は世田谷区内の公立小学校(校名非公表)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 小学校名 | 非公表(世田谷区内の公立小学校と推定) |
| 所在地 | 東京都世田谷区 |
中学が砧南中学校であることから、同じ学区の砧南小学校ではないかと推測されていますが、確定情報ではありません。
田辺さんは東京で生まれましたが、生後2週間で山口県に住む祖父母のもとに預けられ、4歳まで山口県で育っています。
その後、東京の両親のもとに戻り、小学校に入学しました。
野球と水泳に打ち込んだ活発な少年時代
地元の少年野球チームにも在籍しており、近所の野山で遊びまわるなど、アウトドア派の少年だったようです。
水泳は10年間続けており、この持久力と体力が後の高校ボート部での活躍にもつながっています。
キン肉マンに夢中で絵を描き始める
夢中になってキャラクターを描いていたそうで、これが絵を描くことの原点になっています。
本人も後のインタビューで「絵を描くようになった原点はキン肉マン」と言われています。
小学生時代にキン肉マンを模写していた少年が、やがてNHK紅白歌合戦のシンボルマークを描き下ろし、渋谷パルコで個展を開くまでになるのですから、人生は分からないものです。
ちょっと変わった子供だった
保育園の演劇で周りのみんなが桃太郎をやりたがる中、一人だけ鬼ヶ島の鬼の役をやりたがったというエピソードもあり、
幼い頃から人と違うことに惹かれる個性的な感性を持っていたことがうかがえます。
田辺誠一の芸能界での主な経歴や活躍
最後に、学歴を踏まえた芸能活動の歩みについても触れておきましょう。
モデルから俳優へ、そして映画監督にも
1997年には安達祐実さん主演の「ガラスの仮面」で速水真澄役を演じ、人気俳優の仲間入りを果たしました。
俳優業と並行して映画監督としても才能を発揮し、1999年の初監督作品「dog-food」はベルリン国際映画祭に正式招待されるという快挙を達成しています。
近年では大河ドラマ「青天を衝け」「どうする家康」や朝ドラ「らんまん」など、NHKの大型作品への出演も増えています。
「画伯」としてSNSで大人気
徹子さんの似顔絵、タマネギ部分を追加しました→ pic.twitter.com/e38cL6lWvx
— 田辺誠一 (@tanabe1969) March 27, 2026
2011年、ある車の写真をうまく撮れなかった田辺さんが代わりに絵を描いてTwitterに投稿したことがきっかけで、その独特な画風が大きな話題に。
2015年には渋谷パルコで個展「かっこいい犬。わんダーランド」を開催し、1万人以上が来場。
同年、NHK紅白歌合戦のシンボルマークを描き下ろすなど、イラストレーターとしても確固たる地位を築いています。
小学校時代のキン肉マンの模写に始まり、中学時代のゴッホの模写、そして「画伯」としての活躍。学生時代に育まれた「絵を描くこと」への情熱が、思いもよらない形で花開いたわけですね。
田辺誠一の学歴は高卒!大学に行かなくても輝ける生き方
田辺誠一さんの学歴をまとめると以下のとおりです。
- 小学校: 世田谷区内の公立小学校(校名非公表)
- 中学校: 世田谷区立砧南中学校
- 高校: 法政大学第二高等学校(当時の偏差値50台後半 / 現在は約70)
- 大学: 進学せず(最終学歴は高卒)
法政大学への内部進学の道がありながら、より高い目標に挑戦して大学受験に臨んだ姿勢。
そして不合格になった後も、モデルというまったく別のフィールドで勝負する決断ができたこと。
ボート部の体育会系男子が、モデル、俳優、映画監督、そして”画伯”へ。
学歴にとらわれない多彩な活躍は、「偏差値だけでは人の可能性は測れない」ということを教えてくれる好例ではないでしょうか。
56歳を迎えた現在も第一線で活躍し続ける田辺誠一さんの、これからのさらなる活躍に期待です!
